生活

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9年くらい一人相撲を取っていたって話

電車の中で音楽を聴いていて、

わたしのiPhoneの中には三日間くらいまるまる流してても終わらない程度には曲が入っているのだけど、それでいつもシャッフルするからまだ一回もこのiPhoneで聴いたことのない曲なんかもあるんだけど。

仕事終わって、なんか頭がいたいなって思いながらぼーっと音楽を聴いていて、そしたら相対性理論渋谷慶一郎のBlueが流れてきて、Blueはわたしが学生で演劇をやっていた頃、仲間内で上演した作品の中で流れていた曲で、わたしはずっとその仲間内の一人の男が大好きだったのだけど、その男が好きな曲だった。Blue。

何年かぶりにこの曲を聴きながら、疲れていたからかもしれないけど、不意に「あ〜やべえな、結局ずっと好きなんだろうな〜」ということに気づいて、今までそういう気持ちになった時って思い切り落ち込んでいたんだけれども、今日はなぜかものすごく精神が落ち着いて、電車の中で少し泣いた。落ち着いてるんですよ、泣いてるけど。

ずっと好きな人だったんだよなあ。大学に入って、二年生になってから一緒に演劇をやるようになって、それから去年の今頃までずっと好きだった。とても好きだった。

 

でも今にして思うなら、それは好きという感情とはまたちょっと違うのかもしれないね。っていうのは、わたしは今まで生きてきて、努力したりしなかったりまあ、いろいろあるけれども、やってみるとなんとなくこなせる。みたいなことばかりだったから。どうやっても自分の思う通りに、自分のことを好きになってくれない相手にものすごく執着してしまったのだろうなあと思う。余談だけど、それと同じ理由で演劇をするのが好きだったんだろうな。

相手には何度も好きだって言ったけど、とうとう付き合ってくれないまま友人関係がずっと続いて、でも去年の今頃に割と些細なことが理由でわたしがもう相手に興味がなくなってしまって、それから一年ほとんど連絡を取っていない。

この8年くらい、毎日とは言わないけれど、久しぶりに顔を合わせた友人がなぜかわたしに対して「あいつ元気?」と聞いてくるくらいには、よく一緒にいたものだった。長く一緒に居たからその分嫌なところ、いや、わたしの思い通りになってくれないところがたくさん目立つようになってしまって、『好きな気持ちで出来てる器』の許容量を『もう嫌だ』っていう気持ちが上回ってしまったのであった。そんな感じで連絡を取るのをやめた。

前にも似たようなことがあって、その時はなんでそうなったのだか全く覚えてないけど、そう決めた日の夜、帰り道で自転車を漕ぎながら、「ああもう我慢しなくていいんだな」と思ってビシャビシャに泣いたのを覚えている。そうなのだ。相手はわたしのことを好きで一緒にいるわけではないから(諸々の事情によりわたしは大変都合のいい女をやっていたのだった)、嫌なことも我慢して、言いたいことも言わないで、相手の機嫌を伺っていないとスッパリ切られてしまうと思っていたのだ。

いや〜これも今思えば相手にかなり失礼な話だと思っているんだがね。でも当時の自分にとってそれってものすごく大きい問題だったんだなあ。そこまで酷い人でもなかったんだけどな。いやいいか悪いかつったら悪い人だとは思うけど。他人を信用しないくせに自分を好きになってくれっつーのも相当ワガママだよね、と思うんだけれども、当時はそれが自分の中の揺るぎない一本柱としての行動指針だった。というか、嫌なこと我慢してでも一緒にいたかった。だって本当にものすごく好きだったから。なんだろうな、ちょっとな〜と思った時の『嫌だな度』を、隣どうしでただご飯食べてるだけのときの『めっちゃ好き度』が軽く凌駕してる感じ。気持ち悪いな。こうして書いてみると相手に対して申し訳ない気持ちがムクムクと湧いてくるので、自らを省みるって大切なことですね。

で、去年改めて連絡を絶ったときはどうだったのかというと、「も〜〜〜ういい加減付き合ってらんねえわ!!人を舐めるのも大概にせえよ!!!」というような気持ちだった(からこそ連絡を絶った)んだけど。いやそこまでいうほど酷いことをされたの?って聞かれたらちょっと口ごもるというか、どちらかというと一度醒めた目が再び閉じてしまいかけてた、みたいなとこというか、結局我慢しなくていいって気づいた後もなんだかんだで我慢してたのかもね〜積もり積もったものがね〜みたいなとこなんだけどね。あと自分の奉公(これは自分に対する皮肉です)に対する見返りというか、帰ってくるものがなさすぎるっつーのが、損得で人間関係考えちゃったあたりがこうなった原因だよねとも思っている。

相手にもいろいろあって、そのいろいろな状況に応じて結構尽くしてたと思うんだわたし。自分で言うのもなんだけど。で、わたしは並みの凡庸な人間なので、ここまでやってんだから何か返しておくれよという気持ちを抑えることができなかったのだな。て言いながら、思い出せるのは楽しかったことばかりなので、あげてばっかじゃねーか!と思っていたけどそんなことは全然なくて、だからもうこれ単純にわたしがワガママだってだけの話なんですけど。つうか、ここまで自分を結構可哀想なように書いてるけど、相手も同じくらい嫌なことあったんだろうなとは思う。わかっちゃいるんだけどね。わかっちゃいるけど、わたしの主体はわたしなのでどうも自分にいいように書いてしまうな。

んで、そもそもじゃあなにをしたらわたしの満足いく結果になるのか?つったら、極論結婚というか、一生一緒にいてくれやってことになるわけで、でもそれはまた違うっつーか、尽くしてくれたら好きでもない相手と結婚しなきゃいけんのか?みたいになるじゃん、地獄。そんなことは間違っていると思うので、ていうかそんなお慰みで一緒にいてもらうのは情けなさすぎてわたしが耐えられないので、まあいつかこうなるしかなかったのかもしれないよね。わかんないけど。

 

とまあ、そういう悲喜こもごもがこの9年くらいの間にありまして、今日Blueを聴いていて、じゃあ発狂しそうなところをどうして逆に落ち着いたんだろう、という話をやっとしようと思います。長かった。

なんか、その、「ずっと我慢してた」っていう非常に一方的かつ身勝手な被害者意識が腹の底にずっとあったと思われるじゃないですか。自分のことながらあまりちゃんとわかっていない感も正直あるんだけどね。で、この一年なんとなく「もう帰ってくるもんじゃあないんだから、諦めて、とっとと忘れて、早く夏イベ走るべきじゃない?本も結構積んであるけど?転職はいつするわけ?」みたいなことをずっと思っていたのです。実際FGOの夏イベは走りきったし、本はそんなにたくさん読めなかったけど転職もした。結婚願望があるわけでもないのに、街コン行ってみたり、そこで会った人とみんなで遊んだりもした。

「もういい歳だし、世の中にはあの男よりも楽しくてウキウキするようなことがたくさんあるんだから、辛かったことは忘れちゃったほうがいいよ!」という、生きていく上で結構大切な考え方だと思ってるんだけど、『勝手に傷ついた自分を慰めるための機構』みたいな。そういう心の働きが顕著に出ていたなと思う一年だった。

その間に一回も連絡を取らなかったかというとそういうわけでもなく、向こうからちょこっと用事があってラインが来たり、逆に夏一人で伊豆大島へ遊びに行った時浮かれてわたしから写真を送ったりもした。いやでもほんとそのくらい。あと最近はどうしても返して欲しいDVDを返してくれって連絡してるんだけど、全然返事をよこさなくなって結構イライラしている。返却をダシに会おうとしてるんじゃないかと思われてるかもしれないのがシャクである。そしてこのシャクな気持ちもおそらくはわたしの一人相撲だ。そうんなどうでもいいことを気にするような男でもなかったように思う。

まあそれはいいんだ。それはなんとかするとして。結局のところ、「どうでもいい」「大したことない」と思うこと自体がすでに矛盾をはらんでいるというか。逆説的であることに、Blueを聴きながら気づいたのだった。という話がしたかったのだ。最高潮に相手のことを好きだった頃、よく流れていた曲だった。稽古場で聴いたし、家でも聴いたし、通学しながら、喫煙所でひとりぼーっとしながら、聴いた。こういう曲のような、Blueのような女にわたしはなれないなと泣きそうになりながら聴いていた。割と、ほんとにわたしのなかにある相手のイメージを曲にするなら、Blueになってしまうかもしれない。そのくらい、わたしのなかではあの人を象徴するような、そして絶対にわたしがなることのできない曲だった。そういうのがあったりなかったりして、今日あの電車の中で、Blueとわたしの「好きだ」という気持ちが何故だかシンクロした、のだと思う。勝手に傷ついた自分が、これ以上可哀想なことにならないよう、防衛するためにわたしはこの一年好きな相手を嫌いになろうと頑張っていたわけだけど、それはそれで問題があったのかもしれない。何故なら、多分まだ好きなんだろうから。

自分の弱い面を守ろうとするために、自分の中にある別のものを犠牲にする意味はあるんだろうか。あったんだろうな。そうしないと結構辛かったんだろうな。多分そうだと思う。一年経ってやっと、「ねえ、でもわたしは好きなんだけど」って呟いてる自分に向き合えたのだなあと思う。で、これはもうこのまま、暫定的にではあるけれども、「死ぬまで多分好きでい続けてしまうけど、それはまあわたしの勝手だよね」ってことでどうにかこうにか生きていこうと、駅前のファミマで汁なし担々麺を買いながら思った。

勝手にしんどい思いを強いられてきた自分のことも、大切な自分のうちの一人だから、やっぱ好きピ!!!付き合ってくんないけど!!!!!みたいなことにはもうならないだろうし、DVDさえ返してもらえたらもう今後二度と会うことはなくてもそれで構わないなと思っている。そもそも恋人どうしだった瞬間すらないわけだし。つら!それはそれとして、そうやって現在進行形でつら!てなる自分と、好きだった自分と、辛かった自分と、好きだなやっぱりと思っている自分、なんとか手を取り合って生きていけたらいいもんだなあ、と、今はそう思っている。明日はどう思ってるかわからないけれど、それもまたわたしなんだから、とか考えながら。相手のことを好きな自分もちゃんと仲間に入れてあげないと、わたし以外にその気持ちを受け止められる人はいないのだから。