生活

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映画版CATSの気に食わなかったところ

四季の五反田版とロンドン円盤が好きな人間がお送りします。好きだったとこと合わなかったところを挙げてるだけなのでネタバレしかない上に厄介オタクが「想像してたのと違う……」って喚いてるだけなのでそういうの苦手な人は読まないでね。ざっくりと感想をいうと、わたしが今までの媒体から想像して好きになった部分と、トム・フーパーのキャッツ観が尽くすれ違いを起こしている。そんな感じだった。


とはいえなんと言ってもやはりアンドルー・ロイド=ウェバーの楽曲なんだね。正直オーバーチュアを聴いた時点で若干泣いた。多少編曲に「ん?」となる箇所がなかったわけではないけど、まあ〜映画だしね。という気持ちで流してしまえる程度でした。一箇所を除いては……。さてどこでしょう。正解はエンドロールの一番ラストでした〜。ちょっと怒りすら湧くほどにダメでしょとなってしまった。memoryのラストに流れるオーバーチュアのアレンジ、あれが大事なんじゃん……。あれが大事なんじゃん…………。あれがよ…………。大したことないって言っちゃえばそこまでなんだけどさ、個人的に作品を象徴するメロディを敢えて外してしまうのがまじめに解せなかったです。それからグロールタイガーのナンバーちゃんと聴きたかったね……。ほんとはランパスも聴きたかった。でもグロールタイガーもランパスも、CGでやろうとすると犬とか出さなきゃいけなくて大変なんだろうな。いやまじめな話Gの行進やるくらいならこの二曲のうち片方でも良いのでやって欲しかったですけどね……。この映画化のために作られた(たぶん)アンドルーとテイラー作曲のヴィクトリアナンバーは思ったよりも好きでした。あとはオールドデュトロノミーナンバーでのマンカストラップとタガーのユニゾンパートがすごく好きなんだけど、なくなってたのもこの映画においてはよかったなという感じ。なぜならタガーがマンカストラップに統合されてしまっていたので、ユニゾンをする意味がないため。

 


そう、個々のナンバーの流れる場面はすごく好きだったんだよ。ジェニエニドッツはちょっと、まあ、薄目で見ちゃったけど。本筋とナンバーの切り替わり方とかは好きでした。ただな〜、各猫の個性をもうちょっと出してくれてもよかったと思う。映画化に寄せてキャラクターを統合したり、変化させたりって避けて通れない道なのかもしれないけども。群像劇としてのキャッツが好きなので、思いっきりヴィクトリアを主人公に立て、ある一匹にカメラのフォーカスを当ててという描き方がちょっと自分には合わなかった。いやそう描くこと自体は分かるんだけどさ、キャッツだし。舞台みたいに全体像を観せる、観客が各々好きなところにフォーカスできるというような作りじゃないしね。娯楽映画だから。ただ、なんだろね。既存のものから勝手に感じてた、ジェリクルキャッツの独立した感じというか、湿っぽくない感じが好きなんだよなあ。「みすぼらしく痩せていても鋭い鼻厳しい目が何もかもを見抜いている」、そういうジェリクルの孤高さみたいなところをもうちっと感じたかった。あと猫っぽさが薄くて人間に寄ってるんだよね。見た目の問題もあるかもしれないけど。宗教コミュニティ感がめちゃくちゃ際立ってる。特にグリザベラはじめっとしすぎててちょっと違和感。他人や自分を信頼しすぎてる感じがどうも重たすぎる気がした。印象に過ぎないけれど舞台版のグリザベラって、すっごい乾いてるんだよね。乾燥し過ぎてひび割れた草一本生えない大地みたいなイメージ。「諦め」の体現というか。そこにシラバブ(と呼ぶことにするが)のmemoryがしみとおって、集団の中の個として息を吹き返す、そういうような感じ。希望を持ってしまった自分さえ嘲るようなところがなくなってしまっている気がした。あわせてヴィクトリアについても言及したいんだけど、あのー、シラバブって結構な仔ニャンコだと思うんですね、マンクの接し方を見るに。それもあって、彼女のグリザベラに対する感情って、わたしはずっと『純粋な好奇心』だと思ってるんだけど。あのうたの美しさと、コミュニティから追放された見知らぬ相手への好奇心。なので今回のグリザベラと同じく、ヴィクトリアもまた重すぎるんだよな。分かるよ、そういう構成にしたかったのは分かるんだけど、シラバブの『個』が限りなく透明だっただけにヴィクトリアの『個』が強すぎて、グリザベラの救済がこう、なんだろな〜、霞むとは全く違うんだけども、なんだろね〜。グリザベラの悲しみに対応するというか、並び立つものが確固として置かれてしまったゆえに、乾きのレベルが小さく見えてしまうって感じ……。いやなんつーかな、舞台版でも確かにシラバブとグリザベラは並びたってるとは思うんだけど、ていうかだからこそグリザベラのしんどみが際立って見えるんだと思うんだけど。生まれてきてまだ何も悲しいこと辛いことを知らないシラバブと、恐らく生きることの喜び苦しみ悲しみをたくさん経験してきたグリザベラの比較だから一層際立つっていうか。だから悲しみを知って悩んでいるヴィクトリアが立ってしまうと、同質の壁ができてしまってパンチの弱さが気になってしまう。それから、ヴィクトリアの自分とは何者なのか、という問いこそグリザベラのものだったんじゃないかなと個人的には思っていたので、それ取っちゃうの!?となったのだった。

あとさーマキャヴィティはどうしてあんなことになっちゃったの?なんでボンバルリーナがマキャの女みたいになってんの……?ジンジャーキャットはどこへ行ったの……。別に犬を引き裂くマキャを見たかったわけじゃないけど、彼に目的を与えてしまったためにあまりにも小悪党になってしまっていてガッカリした。せっかくのイドリス・エルバが……。マキャヴィティはさあ、犯罪王なわけ、罪を犯すこと自体が目的みたいなキャラクタだと思ってたわけ。お前ジェリクルの選定に興味あったんけ……。そういう全く得体のしれない気味の悪さみたいなものが、よりによって手下と自分でナンバー歌っちゃうことによって、街のチンピラ程度まで引き下げられてしまって、思い出したら泣けてきた。処理のせいで人間の全裸みたいに見えちゃうし……。ジェリクルたるボンバルリーナとディミータがマキャヴィティを歌うからこそ恐ろしさとか底知れなさが増す、そういう側面ありません?あります。いやテイラーは可愛かったよ。歌もダンスも素敵だし。でもどうしてもマキャヴィティの手下じゃなきゃダメだったのかね……。しかも「来い!」つって引っ張られたあともう出てこないし。挙げ句の果てに気球。勘弁してくれよ……。グロールタイガーも相当酷かったけどね。あれじゃただのチンピラじゃん。あのグロールタイガー、ハリネズミ踏み潰さないんじゃないかな……知らんけど……。一曲貰ってる役なのになあ。あのナンバーすげーかっこいいのになあ……。

まあね、映画化するにあたってビジュアルの違い演技の違いは言わずもがな存在するし、グリザベラよりはヴィクトリアを主人公に置いた方が物語として美しいと判断するのも理解はできる。小悪党に女を付けたくなるのもまあ、お約束って感じだし、仕方ないんだろうけど。仕方ないんだろうけど、というワードで自分を納得させる作業療法の一環。あとジェニエニドッツもタガーもバストファさんもミストも、もうちょっとなんとかならんかったか。あまりにもじゃない?扱いが薄いんだよな。去勢ジョークを飛ばすジェニエニドッツ、解釈違いです。よくこのご時世にそのセリフ言わせたな。そんでタガーはただのセクシー猫だし、バストファさんなんか政治の「せ」の字もないし。食べログ猫に改名しろ。ミストに至っては魔術どころか手品かよという。もっと飄々としてくれ〜。お前の成長物語こっちは望んでねえんだ〜……。まあ仕方ないんだろうけどね。結局は好みだしね。と言いつつ、舞台版とは全く別物として映画版だけでナンバーシーン個々を観たら結構好きだったと思う。念頭に舞台版が有るからこうなっているんだ……。そんなこんなで映画版のお気に入りナンバーはマンゴランペルとガス、スキンブルです。いやヴィクトリア置いてっちゃうのちょっと……と思ったし、ジェリーロラムの歌も聴きたかったけど。ガスは俳優力って感じだったね。素直に泣いてしまった。スキンブルは汽車みんなで回すのがなくなったのは残念だけど、タップがめちゃくちゃかっこよかったし生き生きとしてア〜〜〜スキンブルシャンクス・ザ・レイルウェイキャットだ〜〜〜って感じでとても楽しかった。関係ないけどイドリス・エルバのせいでターンしながら空に吸い込まれていくスキンブル、クソ面白かったな。思いっきり噴き出してしまい咳でごまかしたため隣の人には悪いことしたなって思ってる。

 


見た目の話、避けて通れないと思うんでしとくんですけど、あのー造形として普通に許容できるキャラもいませんでした?わたしミストとマンゴランペルあたりはわりと違和感なく見れたんですが、あれ人間の輪郭があまり目立たなくなってるからなんだろうなと思った。あと眉毛と鼻・口かなあ。やっぱり舞台版のビジュアルに寄せなかったのは解せないよな。あんなに可愛いのに。今回のって、顔面だけまんま人間残しちゃってるからキツいんだよね。一番好きな猫、マンカストラップなんですけど、ダメだったな、どう見ても綺麗なドラえもんにしか見えない。みーんな綺麗なドラえもん。あの顔の横がフサフサしててお口がキュッとしてるのめちゃくちゃ可愛いのになあ。そりゃタントミールみたいな短毛種の猫も登場してるし、実際猫の体毛って長くはないけど、そこはリアルじゃなくていいじゃん。フィクションの力を強化する方向で作って欲しかった。それから尻尾がマジでうるせえ。あそこまでやって尻尾がただの紐だったらそれはそれで浮くのは分かるんだけどさ。あとネズミはまあいいとしてGはまじでああする必要なかったよね?製作陣の悪意を感じる。しかも食うし。食うな。全員きちんとしつけるんじゃなかったんすか?お前がまずしつけられろ……。背景とかは綺麗で良かったと思います。ただねスケール感がゴチャゴチャで遠近感覚おかしくなる。もうちょい統一感が欲しかったな。

 


グダグダ気に入らないところを書き綴ったわけだけれど、曲歌ダンスはかなり好きだった。やっぱりめちゃくちゃカッコいい。ジェリクルソングとかすげー泣いちゃったし。もっと俳優の身体や演技に注目して観れば良かったなと悔やんでる。まーでもね……いやーほんと……昔どハマりしてたジャンルがアニメ化した時解釈違いの嵐で毎週死んでたことを久々に思いだしました。鑑賞中「これは別アースのキャッツだから……」と唱えながら観ていたけど、逆にビジュアルがああだからそこまで発狂せずに観れたのかなという気もする。だってどう見てもオリジナルと程遠いし。自分にとっては、普通に観られるし好きなタイプだけど、同時に鑑賞後ジワジワと「あそこの作り……やっぱ気に入らねえな……」となってくるタイプの映画だった。原作厨って悲惨ですね。そしてこの映画に関して何より気に食わねえのは、Twitterのバズ狙いクソ寒酷評大喜利ですね。ポルノだなんだってレビューが流れてきたけど、蓋開けてみたらほぼほぼ猫としての演技を茶化してるだけじゃんって感じだったし。それに続くバズ狙いツイート。いやね、映画の作り的に舞台慣れ・もっと言えば舞台版CATS慣れしてる人じゃないと確かにキツいかもなっていうのはあるけどね。あと見た目に慣れられたかどうかもデカいよな。無理な人はマジで無理だと思う。でも気に食わないものは気に食わねえんだな。総括するなら自分向きの映画化じゃなかったね、と言ったところでしょうか。書きたいことを書いたらスッキリしたので、もしかしたらもう一回くらい観に行くかも知れません。いや嘘……アマプラで100円くらいでロンドン版レンタルできるらしいのでそれ見ます。あと四季のチケットも取る。

 

 

追記

やっぱりなんかもう少しモノ言いたくなってしまった。キャッツって、どんなミュージカルかって言われたら結構な割合で「ストーリーがなくて、歌とダンスを楽しむミュージカルだよ」って言う人多いと思うんだ。てかわたしも多分そう言うんだけど。ただね、一本の明確なストーリーはなくても物語には満ち溢れた作品だと思っているんです。それを映画作品にするってなったら、やっぱ大変なんだろうなあ……。わたしの指す『物語』って、結局猫一匹一匹の仕草だったり表情だったり、もちろん歌やダンスはそうなんだけど、センターでメインを張ってる猫だけじゃなくて舞台上の全員が生きてるっていうところなんです。それがジェリクルキャッツたちの物語なんだと思ってるんですね。そういう意味での群像劇っていうか。だからこの映画化における画の撮り方とか、見た目に嫌悪感を抱いてしまうようなデザインだとか、そういうところが『おれのかんがえたさいきょうのキャッツ』との乖離を生んでしまって、しんどいんだよな……。撮り方見せ方が、個々への注視を生むようなものではないように思えるから。それが製作者の見せたかったところだよって言われたらまあ、それまでっつーか、アッハイすみません、と言うしかないんだけど。やっぱりな、生きてるように見せて欲しかったなって思っちゃうんだよな〜。